「木材工業」木うら木おもて
2024年8月
「木うら木おもて」は「木材工業」の編集子による随想のページです。これを読むときっと今日の業界の様相や世相が見えてきます。
想像を超えてくる
世界環境デー(6 月5 日)をご存知でしょうか。1973 年に日本からの提案で国連総会にて制定され,環境に関する最大の国際デーとして国連環境計画(UNEP)が主導し,環境問題の解決や保護について考え・行動する日となっているというニュースをラジオで耳にしました。2024 年のテーマは「私たちの土地,私たちの未来。私たちは # 再生の世代」です。土地の回復,砂漠化の阻止,干ばつへの耐性の構築に焦点を当てているそうです。世界の土地の最大40%がすでに劣化していて,世界で約32 億人が砂漠化によって悪影響を受けていると言われているそうです。また,2050年までに世界人口の4 分の3 以上が干ばつの影響を受けると予想されるなど,土地に関する問題は喫緊のテーマであるようです。しかしながら,日本にいると気候変動の影響は感じつつも,砂漠化を直接的に実感することはありません。今日の世界の環境問題の深刻さは想像を超えているのかもしれません。
複数の大手サッシメーカーが“木製サッシ” を発売するというニュースを目にしました。ニュースによると木製サッシの普及率は米国約32%,ドイツ約14%に対して,日本では0.3%にとどまっているそうです(サッシメーカー調べ)。それでも木製サッシを投入するのは,断熱性能や意匠性,サステナブル(持続可能)を考慮した結果ということで,課題は手入れの難しさと高価格とされていました。アルミサッシから樹脂サッシへ,樹脂サッシから木製サッシへとそう単純にはいかないかもしれませんが,複数の大手サッシメーカーが木製サッシを発売していくという点に驚きました。住宅にとって,暑さの7 割,寒さの6 割は窓が原因とも言われています(建産協調べ)。その改善のため,近年では日本でも高気密・高断熱住宅の普及,樹脂サッシの普及が進みつつあるなか,木製サッシのシェアがはたして日本でどこまで伸びるのか,とても興味があるところです。複数の大手サッシメーカーが木製サッシを投入するというニュースは,時代の変化と木材利用ニーズの高さから,これまであまり参入してこなかった他材料が主の業界でもその変化に迅速に対応しようとしているという点で,私の想像を超えていました。備えるという意味でも,希望を持つという意味でも,想像することはとても大切だと思います。しばしば,災害など悪い意味でいとも簡単に想像を超えてくることもありますが,メジャーリーグでの日本人選手の活躍のように,良い意味で想像を超えてきてくれると,想像することが楽しくもなります。未来の日本における森林資源の価値や木材利用の普及は,どのように想像を超えてくるのでしょうか? もちろん想像を超えてくるならば,良い方に外れて欲しいと願うばかりです。(九州男児?)
複数の大手サッシメーカーが“木製サッシ” を発売するというニュースを目にしました。ニュースによると木製サッシの普及率は米国約32%,ドイツ約14%に対して,日本では0.3%にとどまっているそうです(サッシメーカー調べ)。それでも木製サッシを投入するのは,断熱性能や意匠性,サステナブル(持続可能)を考慮した結果ということで,課題は手入れの難しさと高価格とされていました。アルミサッシから樹脂サッシへ,樹脂サッシから木製サッシへとそう単純にはいかないかもしれませんが,複数の大手サッシメーカーが木製サッシを発売していくという点に驚きました。住宅にとって,暑さの7 割,寒さの6 割は窓が原因とも言われています(建産協調べ)。その改善のため,近年では日本でも高気密・高断熱住宅の普及,樹脂サッシの普及が進みつつあるなか,木製サッシのシェアがはたして日本でどこまで伸びるのか,とても興味があるところです。複数の大手サッシメーカーが木製サッシを投入するというニュースは,時代の変化と木材利用ニーズの高さから,これまであまり参入してこなかった他材料が主の業界でもその変化に迅速に対応しようとしているという点で,私の想像を超えていました。備えるという意味でも,希望を持つという意味でも,想像することはとても大切だと思います。しばしば,災害など悪い意味でいとも簡単に想像を超えてくることもありますが,メジャーリーグでの日本人選手の活躍のように,良い意味で想像を超えてきてくれると,想像することが楽しくもなります。未来の日本における森林資源の価値や木材利用の普及は,どのように想像を超えてくるのでしょうか? もちろん想像を超えてくるならば,良い方に外れて欲しいと願うばかりです。(九州男児?)
家の寿命と人の寿命
先日,我が家では,屋根瓦の葺き直しの工事を行いました。自宅は,在来の木造で築35 年くらいになります。2 階建てです。周りの住宅はほとんど建て替えで3 階建てになっていました。そうすると,屋根の状態が周りの家からよく見えるのか,北向きの瓦が1 列ずれていたのが分かり,点検したところ,屋根下地が瓦のずれているところから傷んでいると判ったのです。家の補修は15 年くらい前に外壁と雨どいの付け替えをしたことは覚えていましたが,屋根と瓦の耐久性などはほとんど考えてもいませんでした。これまで,大きな災害にも遭わずに30 年以上住み続けて,やはり住宅も痛むんだなと思った次第です。
そうやって考えると以前にも書きましたが,長く使えてるものはゼンマイ仕掛けの柱時計です。60 年以上,壊れることなく今でも動いています。ただし,毎月1 回,定期的にこのゼンマイを巻くのが億劫ではあります。だからと言って愛着のついた一番古い家財を捨てて電池式に変える気にもなれず,毎月せっせと自分に残された役割をこなしています。
もうひとつ,家の中で取り換えたものがあります。畳です。最近の住宅はほとんどが洋間になっていますが,我が家は,狭いわりに和室が多く合計4 部屋,26畳分の畳を新しく張り替えることになりました。張り替えるといっても畳の芯は変えずに畳の表を新しいものに変えるのですが,これも30 年近くそのままだったので,やむを得ないところです。中途半端に旧式の建物なので,玄関は引き戸だし,狭いわりに和室が多いし,家の中は段差が多い。両親が建てた家とはいえ,今となっては不便なことが多い家ですが昨年亡くなった父から引き継いだ家なので,当然のごとく修繕などは,自分で決めてやっていくことになります。屋根瓦もそうですが,畳にもグレードがあって,国産のものは,中国産のものに比べて値段もそれなりにかかるようです。こうして屋根(瓦)と床(畳)を変えたのですが,屋根にはまず上がることはありませんが,普段くつろいでいる居室の新しい畳の匂いは,心地よいものだと改めて実感しました。この自宅ですが,以前母が動けなくなってから,洗濯物を2 階へ干しに上がるとき,最近,自分も階段の段差でつまずくことが多くなりました。少し前にテレビで芸人さんが「バミリ」(人の立ち位置や道具を置くときの目印に使うテープ)で,つまずいたと言っていたのを思い出しました。1ミリの厚さもないテープでつまずくというのはないだろうと思いましたが,自分も足が上がりにくくなってこける機会は増えたような気がします。「いよいよ自分も気をつけねば」ですね。(次回予告!!)
そうやって考えると以前にも書きましたが,長く使えてるものはゼンマイ仕掛けの柱時計です。60 年以上,壊れることなく今でも動いています。ただし,毎月1 回,定期的にこのゼンマイを巻くのが億劫ではあります。だからと言って愛着のついた一番古い家財を捨てて電池式に変える気にもなれず,毎月せっせと自分に残された役割をこなしています。
もうひとつ,家の中で取り換えたものがあります。畳です。最近の住宅はほとんどが洋間になっていますが,我が家は,狭いわりに和室が多く合計4 部屋,26畳分の畳を新しく張り替えることになりました。張り替えるといっても畳の芯は変えずに畳の表を新しいものに変えるのですが,これも30 年近くそのままだったので,やむを得ないところです。中途半端に旧式の建物なので,玄関は引き戸だし,狭いわりに和室が多いし,家の中は段差が多い。両親が建てた家とはいえ,今となっては不便なことが多い家ですが昨年亡くなった父から引き継いだ家なので,当然のごとく修繕などは,自分で決めてやっていくことになります。屋根瓦もそうですが,畳にもグレードがあって,国産のものは,中国産のものに比べて値段もそれなりにかかるようです。こうして屋根(瓦)と床(畳)を変えたのですが,屋根にはまず上がることはありませんが,普段くつろいでいる居室の新しい畳の匂いは,心地よいものだと改めて実感しました。この自宅ですが,以前母が動けなくなってから,洗濯物を2 階へ干しに上がるとき,最近,自分も階段の段差でつまずくことが多くなりました。少し前にテレビで芸人さんが「バミリ」(人の立ち位置や道具を置くときの目印に使うテープ)で,つまずいたと言っていたのを思い出しました。1ミリの厚さもないテープでつまずくというのはないだろうと思いましたが,自分も足が上がりにくくなってこける機会は増えたような気がします。「いよいよ自分も気をつけねば」ですね。(次回予告!!)
芝生考
かつて,庭に芝生を植えていました。夏の芝生は炎天下の芝刈りが大変なので,冬に育つ西洋芝を選んでいました。ティフトンやトールフェスク,ケンタッキーブルーグラスなど,ゴルフや競馬がご趣味の方はお耳にされたことがあるでしょう。
砂を多めに混ぜた土を作って転圧し,種をまいて目砂を掛けます。毎朝多めの水やりをしますが,水勢が強いと根が痛むので弱めのシャワーとします。2 週間ほどで芽が出ますが20 mm 程の高さになるまで待ってから,いよいよ芝刈りです。芝は刈るほど分けつが盛んになるので,2,3 日おきに刈る必要がありますが,どんどん芝生らしくなっていくので楽しい作業です。ただ,芝刈りをサボると分けつ点が上の方に伸びてしまうので,だんだん辛くなってきます。とくに出張が続くようなときには,作業時間を確保することが難しいですが,ほら早く刈ってくれないと伸びちゃうよ,といいたげな芝に背中を叩かれる思いとなります。その頃には,狭い庭でも一回の芝刈りで30 L のゴミ袋1 杯分ほどの量の芝が出ます。何もないところから,これだけの物質を産み出すわけですから,自然はすごいな,と改めて思うとともに,これが食べられたらいいのに,とヘンなもったいない精神も生まれてきます。ササなどの下草を刈るとかなりの量が発生するのだが,何か有効な利用方法はないか,という相談を受けることがあります。木質ボードの原料等にならないか,というものですが,草本は原料にできませんという説明とともに,一度,重さを量ってみて下さい,とお伝えすることにしています。嵩としてはトラック何杯分,となりますが,重さを量ると,さほどの量はありません。工業原料は嵩ではなくて重さが必要です,とお話しすると納得していただけます。
もちろんバイオマスとしてエネルギー利用することもできるでしょうが,やはり重量が必要であることと,燃やすためには乾燥していることが必要なので,利用は難しいです。飼料にできれば良いかもしれませんが,専門外のためそこでお話は終わることとなります。牛や豚もGHG を排出するらしいので,飼料にすることの是非は要検討でしょう。
さて,そんなことを思いながらの芝の手入れですが,1 週間手を入れられないと悲惨なことになります。あまりに伸びてしまった芝は,芝刈りをすると軸刈りといって分けつしなくなります。やがてチガヤがはびこり,ネジバナなどが咲くようになると,芝育ては失敗となり,土作りから始めることを10 年ほど繰り返しました。
このような反省を踏まえた結果,現在の庭はインターロッキングで一面覆われることとなりました。(Yong)
砂を多めに混ぜた土を作って転圧し,種をまいて目砂を掛けます。毎朝多めの水やりをしますが,水勢が強いと根が痛むので弱めのシャワーとします。2 週間ほどで芽が出ますが20 mm 程の高さになるまで待ってから,いよいよ芝刈りです。芝は刈るほど分けつが盛んになるので,2,3 日おきに刈る必要がありますが,どんどん芝生らしくなっていくので楽しい作業です。ただ,芝刈りをサボると分けつ点が上の方に伸びてしまうので,だんだん辛くなってきます。とくに出張が続くようなときには,作業時間を確保することが難しいですが,ほら早く刈ってくれないと伸びちゃうよ,といいたげな芝に背中を叩かれる思いとなります。その頃には,狭い庭でも一回の芝刈りで30 L のゴミ袋1 杯分ほどの量の芝が出ます。何もないところから,これだけの物質を産み出すわけですから,自然はすごいな,と改めて思うとともに,これが食べられたらいいのに,とヘンなもったいない精神も生まれてきます。ササなどの下草を刈るとかなりの量が発生するのだが,何か有効な利用方法はないか,という相談を受けることがあります。木質ボードの原料等にならないか,というものですが,草本は原料にできませんという説明とともに,一度,重さを量ってみて下さい,とお伝えすることにしています。嵩としてはトラック何杯分,となりますが,重さを量ると,さほどの量はありません。工業原料は嵩ではなくて重さが必要です,とお話しすると納得していただけます。
もちろんバイオマスとしてエネルギー利用することもできるでしょうが,やはり重量が必要であることと,燃やすためには乾燥していることが必要なので,利用は難しいです。飼料にできれば良いかもしれませんが,専門外のためそこでお話は終わることとなります。牛や豚もGHG を排出するらしいので,飼料にすることの是非は要検討でしょう。
さて,そんなことを思いながらの芝の手入れですが,1 週間手を入れられないと悲惨なことになります。あまりに伸びてしまった芝は,芝刈りをすると軸刈りといって分けつしなくなります。やがてチガヤがはびこり,ネジバナなどが咲くようになると,芝育ては失敗となり,土作りから始めることを10 年ほど繰り返しました。
このような反省を踏まえた結果,現在の庭はインターロッキングで一面覆われることとなりました。(Yong)
指物,買い物,拡張自我
「指物」馴染みのある人の方が少ないでしょう。箪笥類は勿論のこと,ちょっとした文箱であっても,気楽に買える価格ではありません。一方,価格のほとんどは材の希少価値で決まるものと言われ,じっさい意匠面に職人の仕事が出てくることは少なく,黒子に徹していることが多い印象です。私も普段まったく馴染みがないのですが,指物師・須田賢司氏の「木工藝」という作品集を読んでだいぶ認識が変わったので,少し紹介します。
須田氏の作品は,木工はもちろん,餝(かざり)金具に至るまで,作者自身が製作しているとのことです。形も扉の開け方も独特で,伝統工芸ではあるものの,まったく古さを感じさせません。カーリーメープルを拭き漆して多用しているようなのですが,色艶の加減で石のような硬さを演出しており,他の材と取り合わせられたときに新鮮さを与えています。木工に金工,どれだけ莫大で孤独な作業なのでしょう。どうしたらそのマインドに入れるのでしょうか・・・
手仕事にこだわると,道具の仕立てがついて回ります。和鉋では洋鉋と違って台が木製ですから,台直しの技術も必要です。拭き漆という湿潤条件での養生が必要な作業を挟むことも,じつは結構な無理のある取り合わせだと思うのです。所変わってヴァイオリン作りでも,いまだに押し使いの鋸を使うようです。下手に扱うと刃が座屈するので,これも合理的とは言えないと思うのですが,基本手技で職人を篩にかける1 つのプロセスとはなっている気がします。杢の入った材などの扱いでは刃物の仕立ての巧拙が如実に出るでしょうし,加工の引き出しの多さが,結局は作品の幅になるでしょう。
機械化のおかげで,現代では比較的簡単に参入できる伝統工芸の分野もあるように思いますが,そういった困難性から生まれるインスピレーションみたいな要素は,損なわれてきた側面があるかもしれません。私自身,趣味では木工,竹工,鉄工と色々挑戦して,そのプロセスを楽しんできたはずなのに,今は専ら買うサイドにいます。たぶん消費する方が失敗知らずで,何より,テンポよく諸々が進んで精神衛生的に良いからでしょう。ものづくりはとにかくスローで,消費活動とは物事の進み具合がまるで違い話を合わすのも大変,何かの片手間でやるには重い作業の繰り返しです。だからこそ,幾ら払っても手に入れたくなるものが出来上がるのでしょうね。さて「拡張自我」という心理学用語があります。あいつ,ブランド物ばかり身に着けて,近頃は性格まで調子に乗ってきた,という風に,モノ→人の側面ばかりがフィーチャーされるきらいも有るように思いますが,「自我」の「拡張」なのだから,人と為りが好みに表出するという意味があっても不思議ではありません。消費活動にすら各々の自己表現があり,それを究極的に詰めたものがアート,ですから買い物はある種,アートをアウトソーシングする活動,などと言っては言い過ぎでしょうか。 (CCM3)
須田氏の作品は,木工はもちろん,餝(かざり)金具に至るまで,作者自身が製作しているとのことです。形も扉の開け方も独特で,伝統工芸ではあるものの,まったく古さを感じさせません。カーリーメープルを拭き漆して多用しているようなのですが,色艶の加減で石のような硬さを演出しており,他の材と取り合わせられたときに新鮮さを与えています。木工に金工,どれだけ莫大で孤独な作業なのでしょう。どうしたらそのマインドに入れるのでしょうか・・・
手仕事にこだわると,道具の仕立てがついて回ります。和鉋では洋鉋と違って台が木製ですから,台直しの技術も必要です。拭き漆という湿潤条件での養生が必要な作業を挟むことも,じつは結構な無理のある取り合わせだと思うのです。所変わってヴァイオリン作りでも,いまだに押し使いの鋸を使うようです。下手に扱うと刃が座屈するので,これも合理的とは言えないと思うのですが,基本手技で職人を篩にかける1 つのプロセスとはなっている気がします。杢の入った材などの扱いでは刃物の仕立ての巧拙が如実に出るでしょうし,加工の引き出しの多さが,結局は作品の幅になるでしょう。
機械化のおかげで,現代では比較的簡単に参入できる伝統工芸の分野もあるように思いますが,そういった困難性から生まれるインスピレーションみたいな要素は,損なわれてきた側面があるかもしれません。私自身,趣味では木工,竹工,鉄工と色々挑戦して,そのプロセスを楽しんできたはずなのに,今は専ら買うサイドにいます。たぶん消費する方が失敗知らずで,何より,テンポよく諸々が進んで精神衛生的に良いからでしょう。ものづくりはとにかくスローで,消費活動とは物事の進み具合がまるで違い話を合わすのも大変,何かの片手間でやるには重い作業の繰り返しです。だからこそ,幾ら払っても手に入れたくなるものが出来上がるのでしょうね。さて「拡張自我」という心理学用語があります。あいつ,ブランド物ばかり身に着けて,近頃は性格まで調子に乗ってきた,という風に,モノ→人の側面ばかりがフィーチャーされるきらいも有るように思いますが,「自我」の「拡張」なのだから,人と為りが好みに表出するという意味があっても不思議ではありません。消費活動にすら各々の自己表現があり,それを究極的に詰めたものがアート,ですから買い物はある種,アートをアウトソーシングする活動,などと言っては言い過ぎでしょうか。 (CCM3)